人生楽しんだもん勝ち!
せっかく生まれてきたんだから、人生楽しんだもん勝ち!坂場 和寿の人生ストーリー
みなさん、はじめまして。
1979年4月23日生まれの40歳、茨城県水戸市出身のサカバ カズトシ(@kazutoshi79)といいます。
みんなからは、「カズ」と呼ばれています。
30歳の時から6年間ほど海外生活をしながら現地の日本食レストランで勤務し、料理を作っていましたが、2015年に帰国し、飲食店で勤務。2017年からは運送業の仕事をしています。
海外生活をしていたこともあり、英語は日常生活で支障がなく、簡単なブログ程度だったら書けるレベルです。
運送業の仕事以外では、ネットで中古の家電販売などをやりながら、2018年7月からブログとツイッターを始めました。
なぜ始めたのかというと、ニュージーランドに住んでいた時に知り合った友人が、現地でオリジナルブランドを立ち上げているので、その商品を日本に輸入してネットショップで販売したいこと
それに、地元の茨城県水戸市の地域活性をしていきたいからです。
水戸の市街地から少し離れたところにある水戸市民憩いのオアシス「千波湖」
どちらも一人では実現することが難しい!
それに、いろんな人とつながってやった方がおもしろい!
だからもっとぼく自身のことを発信して、いろんな人と出会ったり仲間を見つけていきたいんです。
ということで、この記事は自己紹介を兼ねて、ぼくのこれまでの人生ストーリーをみなさんに紹介させていただきます!
見出しh2:上京し、ハタチで借金50万円を背負った
高校を卒業後、「音楽でメシを食う」と言い放って上京しました。
やっていた音楽のジャンルは、当時流行りのビジュアル系で、好きなミュージシャン・バンドはLUNA SEA。(今は、いろんなバンドマンとの出会いや影響を受けてパンクからロックまで幅広くやるようになっています)
そして、上京して数年後、20歳の時に借金50万円を作ってしまいました。
なぜこの50万円の借金を作ってしまったのかというと、音楽活動をしていくのに必要な衣装代、スタジオレンタル代、チケットのノルマなどを賄うためです。
50万円の借金なんて大した事ないと 思うかもしれないですが、音楽を本気でやっていると働く時間が取れず、、、月収10万そこそこの当時の僕にしては結構な金額でした。
見出しh2:結婚を考えていた婚約者が睡眠薬を過剰摂取し、植物状態に
音楽をしようと上京しましたが、ぼくはある女性と出会い、同棲を開始しました。
交際を始めてから1年ぐらい経った頃、交際相手の女性が、幼少期のトラウマが原因で鬱病、パニック症候群になってしまいました。それ以降、リストカットとや、睡眠薬の過剰摂取などを繰り返すようになったのです。
恐らく、僕の借金のことや、飼っていたペットを目の前で交通事故で亡くしたことも原因だったのだと思います。徐々に徐々に体調が悪くなっていきました。
それでもぼくは彼女との結婚を考えていました。
だからぼくは彼女に「一度実家に帰って働いて借金を綺麗に無くしてから結婚しよう」と約束し、地元に帰って働きながら遠距離恋愛を始めました。
それから恐らく半年経った頃、彼女のご両親から、彼女が睡眠薬を過剰摂取し病院に搬送されたと連絡があり、それを聞いてすぐに病院に向かいました。
一命は取り留めたのですが、植物状態に。
主治医から「いつ目がさめるか分からない、もしかしたら明日冷めるかもしれないし、一生冷めないかもしれない」と言われました。
それからは、毎週末にお見舞いに行っていました。
しかし、一年ぐらい通っても何も状況が変わらず、お見舞いに行くのが辛くなり、行く回数が減り、最終的には行くのをやめてしまいました。
あんなに大好きだったのに、自分が辛いという理由で行かなくなった自分のことが嫌いになりました。
ただただ生きて行くだけの時間が5年くらい続きました。
何をやっても夢中になれず、常に虚しさを感じ、心の底から笑えた事はなかったと思います。
その間、夢にも度々その彼女が出てきて、「いっそ死んじゃいたいな」と思ったりしてました。。。
見出しh2:「なりたい自分」を目指してボクシングと英会話に没頭したことでドン底から蘇った
時間の経過とともに少しずつメンタル面が立ち直ってきました。
さらにその1、2年ほど経過した頃に、「何か新しいことを始めよう」と気力が戻ってきて、ボクシングと英会話を始めました。
ボクシングでもっと強くなりたい!
英会話でもっと喋れるようになりたい!
「なりたい自分」が定まり、それに向かって努力する日々を過ごしていました。
この2つのことに一生懸命没頭したことによって徐々に思考が前向きな思考になって、始めてから半年後ぐらいすると、もうネガティブなことは考えなくなっていました。
見出しh2:人生のターニングポイント、7年間の海外生活
英会話教室に通い、講師の先生たちと会話をしていると、
もっと英語を喋れるようになりたい
日本の国以外のことをもっと見てみたい
だんだん外国に興味を持ち始め、ついに29歳の夏に「海外に行く!!」と決意。
仕事を辞め、30歳の誕生日直前に、オーストラリアへ1年間留学しました。
オーストラリアで出会った仲間たちと記念
オーストラリアで、フルーツピッキングの仕事に行く時の車中
オーストラリアで台湾人、韓国人の仲間たちと
その後も物足りなくて、ニュージーランドへ引き続き留学。生活費を稼ぐために、現地の日本食レストランでアルバイトをし、その後社員として働き始めました。
ニュージーランドのバーで意気投合した若者たちと
ニュージーランドで仲間たちとバーベキュー
ニュージーランドで仲間たちとフィッシング
日本を出て生活していて思ったのですが、日本人というだけで外国の方がいい印象を持っていただけました。恐らく僕たちの父親世代で移住した方達の振る舞いが今の僕らの待遇につながっているのだと思います。
今の僕たち世代の人間がどう振る舞うかで子供達の世代がどう見られるのかが変わってくるのかって考えると、ぼくは日本を代表して海外で生活しているんだと考えるようになり、一つ一つの行動に責任を持って行動するよう心がけていました。
また、韓国人の友人から「君たち日本人はあんなに素敵な国に生まれたのにそれがどれだけ恵まれてるのか分かっていない、日本に生まれたことに感謝し、日本人として誇りを持った方がいいよ」と言われ、僕は日本人なんだと強く意識して生活してきた中でたくさんの経験をすることができました。
そして、5年間のニュージーランド生活を終え、36歳の時、永住権の取得に失敗し帰国。
一生ニュージーランドで生きていこうと思ってたのに永住権の取得不可のレターが届いたときは頭が真っ白になりました。
だってそれは、それまで頑張って作り上げたコミュニティーから仕事から全て手放さなくちゃいけないということ。
だって、その土地に住み続けることは出来ないんだから。
そのレターから半年後、志半ばの中、大好きだったニュージーランドを離れました。
でも、得たものは沢山あります。
海外生活を始める前とは、日本という「母国」に対する考え方が180°変化。
それまでは人生のほとんどがストレスで。
「たまにある楽しみのおかげで楽しく感じる」と思っていたのですが、「人生の毎日が楽しい」という価値観に変わりました。
仕事が楽しいからプライベートが楽しい!
プライベートが楽しいから仕事が楽しい!
「せっかく生まれてきたんだから、人生楽しんだもん勝ち!」と考えるようになりました。
見出しh2:休みナシで働いた日々や祖母の死により、「自分はこれからどう生きていくのか」を考えた
帰国後は、「7年間も飲食で働いてたし、この経験を活かして同じ業種で働こう!!」と思い、横浜市内の飲食店に勤務しました。
それから約2年間は、来る日も来る日も仕事に明け暮れました。
友達を作る暇もなく、自分の時間も作れぬ日々が続き、この生活に疑問を抱き始めたその頃、祖母が亡くなりました。
その一報を聞き、葬儀に参加した際、両親の老後、死についても考えるようになり、今まで長い事離れて暮らしていたので、これからは何かあったら駆けつけられる所に住もうと考えました。幸いにも独身だったので、このタイミングで戻らなければ一生戻ることはないなと思い決心しました。
そして、地元に帰るなら、何か自分でビジネスを始めたいと思ったので、「自分が何をしたいのか?」「どんなことをしたいのか?」を考えたり、実際に活動していくためにも、まず自分の時間を確保できるところで働くことにしました。
それが、以前僕が経験したことのある運送業。
去年の8月から入社し、働いているところです。
見出しh2:これからは「信用第一」で「やりたいこと」をやる時代
ビジネスについて色々本を読み勉強していたところ、お笑い芸人・絵本作家のキングコング西野さんの著書『革命のファンファーレ』を読み、信用を集める事の重要さに気づきました。
それから、ツイッターやブログを始め、自分の考え方を発信するように。
色々な方のツイートを拝見していく中で刺激を受け、「自分もやりたい事をやって行きていこう!!」と決意しました。
まず、その第一弾として、「僕の大好きな故郷、茨城県をみんなに知ってもらって、多くの人に遊びに来てもらいたい!!」と思い、実際に茨城県のオススメスポットに足を運んで、その魅力を伝えるブログを始めました。
結局今は紆余曲折ありながら、茨城県のおススメだけじゃなく、僕の思ったこと、僕が一歩踏み出すキッカケをくれた書籍の紹介など色々書いています。
▼初めて書いた記事です!
茨城県まっぷる旅 SL真岡編 - 人生楽しんだもん勝ち!!
今見返すと、とっても恥ずかしい。
見出しh2:これからの目標
今、考えているのは、以前ニュージーランドに住んでいた時に知り合った友人が、現地でオリジナルブランドを立ち上げ、ショップ経営しているので、彼女のブランドを日本に輸入してネットショップで販売したいと思っています。
https://instagram.com/ulo.raglan?utm_source=ig_profile_share&igshid=14bnsssi9wev7
さらに僕以外にも販売してくれる人たちもいてくれたら、「みんなで日本中に広められる!!」と考えています。そのため、クラウドファンディングで活動資金と仲間を募集していきたいなと考えています。
ただ、一つ問題があって、先方のデザイナーさんが出産を控えていて、また他に今手がけているプロジェクトがある為、来年の夏を目標に国内販売をする事に決まりました。
その時に自由に動けるように、今は副業でアマゾンを利用して中古家電の販売を昨年8月の中旬から始め、今年の3月ごろまでには脱サラ出来るように奮闘してます!
(現在、未だ脱サラには至らず!人生そんなに甘くはない!!
でもいつも頭フル回転で方法を模索中!!!そんな毎日も悪くない)
また、それと同時進行で地元の茨城県水戸市で、毎週日曜日に水戸市の商店街の街中で、フリーマーケットとエンターテイメントを融合させたような面白いイベントを開催させます!
毎週日曜日の午前中に開催し、地元の商店街の方達に出店していただき、また地元の中学や高校の吹奏楽部などに出演してもらう。
午後は出演していた生徒やその友達、家族が街に流れる。
それで地域を活性化させます。
今挑戦中の事
これらのことを実現させるのに必要なことは何だろうと考えたとき、まずは資金。
それに発信力や信用。
同じ事に面白がって一緒にやってくれる仲間が必要なんです。
でも、今現在の僕は何1つ持っていない。
という事で去年の夏、アマゾンでの家電販売を始めました。
お陰で31年1月現在、次のステップに進む為に必要な活動資金程度は稼げるようになってきました。
じゃあ次は発信力、信用、仲間を手に入れる番。
でも、何者でもない僕の言う事なんて届かないじゃないですか?
だからそれらを手に入れる為にクラウドファンディングの一種であるポルカにチャレンジしました!
このチャレンジを通して僕の毎日の努力を発信し、そんな僕の行動に共感してくれる人達に出会いたいと悪戦苦闘しました。
チャレンジの詳細はこちらを見てください。
https://polca.jp/projects/t1mwlbcnYyN
僕が行動を起こすキッカケを作ってくれた書籍。
HARU さんの「グッバイ公務員」と、真木さんの「僕のみている世界」を無料で届けに行きたい。
結果11名の方から10000円の支援をいただき書籍の購入が出来ました!!
みなさんありがとうございました!
:現在
水戸の街中で毎週末開催の食とエンタメのフェス開催のための第一弾として
水戸にいながら異国の人たちに気軽に触れ合える空間を作ります。
そのための第一弾として7月21日に、以前から親交のあったブルガリア人の俳優兼モデルのアントニオさんをお招きして、ブルガリアの料理教室とトークイベントを開催します。
このイベントを通して、異文化に触れあい、参加者同士が繋がれる。
そんな日常を作りにいきます!
:最後に
長くなりましたが、ぼくのこれまでの人生ストーリーは以上です。
似たような経験をされている方とぜひつながりたいので、ツイッターのフォローやDMなどいただければうれしいです。
よろしくお願いします。
坂場 和寿
Twitter(@kazutoshi79)